2012年06月29日

日貿通信に掲載

「水彩で描く美しい日本」でお世話になっている日貿出版社さんから封筒が届きました。あけたら「日貿通信」が同封されていました。
目を通してびっくり、6月あたまに銀座で開いた個展「東北とケルティックランド」のことが結構大きくクローズアップ。

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「通信に載せますから」といわれ写真も提供していたけど、まさかこれほどスペース割いてもらえるなんて思ってもいなかったので、正直、うれしはずかしです。
7月18日からの埼玉川口市「燦ぎゃらりー」開催の震災復興支援個展の事にも触れてくれていて、感謝でした。

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2012年06月28日

本日二日酔いなれど…

おはようございます。
昨晩はきのおけない仲間たちと、一献会。濁り酒という魚雷数本喰らって轟沈でした。

クラクラの頭を抱えてパソコン立ち上げると、某公共施設の出している情報誌の挿絵の原稿が届いていました。
今から原稿読み下しです。
二日酔いの頭に最高の酔い覚ましだ...。

この絵は前回の連載に描きおろしたものです。座っている男が今朝のナサケナイ自分に重なってしょうがないや(笑)

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2012年06月26日

子規の風景 「はて知らずの記をたどる」第25回 作並街道

昨日6月23日付の河北新報夕刊に掲載になった「はて知らずの記をたどる」です。
作並街道

「山路深く入れば峰巒(ほうらん)形奇にして雲霧のけしき亦ただならず」
(はて知らずの記)


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 熊ケ根から作並へひたすら歩く子規は、その風景を表題のようにつづっている。見知らぬ地を進む旅人としての心境を、この一文は見事に表している。
 以前、英国のダートムアなる荒野を、ひとり徒歩で歩いたことがある。もちろん地図は持っていた。けれど初めてたどるルートだ、風の音と自分の足音、そして呼吸音しか聞こえない世界にじわりと不安感が迫ってくる。子規の一文から私はそんな荒野の旅を思い出していた。
 風景は、そのときの気持ちで見え方が変わるものだ。楽しげな気分で見上げる山と、不安感に包まれて囲まれる山では、その迫り方は全く違ったものとなる。色彩もまた同様だ。山も木々も空模様も、それ自体はただそこにあるだけだ。けれども実はその姿は、見る人の心模様に応じて優しくも厳しくも変化する。
 作並街道の傍らへ車を止め、細い歩道を歩き出した。傍らをごう音を立て大型車両が通過する。風圧がすごい。しばらく歩き、ふと子規が「感じた」風景はここだ、と立ち止まった。スケッチブックをひらき、山並みと対峙(たいじ)した。

絵と文/古山拓
picture & text by Taku FURUYAMA all rights reserved


子規の風景 「はて知らずの記をたどる」第24回 熊ヶ根

子規の風景 「はて知らずの記をたどる」熊ヶ根

山奇なり夕立雲の立ちめぐる
子規


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 落合から愛子を抜けた子規は、作並へと向かう。はて知らずの記に、「野川橋を渡りて…」というくだりがある。表題の句は、今の地名でいう熊ケ根付近の風景描写の後に紹介されている。
 子規の東北旅を知る前に野川橋付近をスケッチ旅で知っていた私は、彼の記述に思わずうなずいていた。ちなみにこの橋は、小さいながらも現役だ。
 野川橋周辺の風景を知ったのは、広瀬川上流にモチーフを探していた時だ。陸前白沢を過ぎて小さな脇道を見つけ、くねる坂道を下っていった。辺りには旧街道の「におい」がしていた。広瀬川に架かる野川橋に立ち、左右を見渡した。蛇行する川面からそそりたつ黄土色の地層に思わず息をのんだ。
 仙台近郊のあちこちをスケッチして歩いているけれど、この場所を見つけた時の興奮はいまだに忘れられない。素晴らしい風景との出合いは脇道にそれる楽しみを知っている人に与えられた特権だ。
 涼を求め川原に遊ぶ家族連れの歓声が、水面を渡る。子規の句に、初夏の色がオーバーラップしていた。

絵と文/古山拓
picture & text by Taku FURUYAMA all rights reserved



子規の風景 「はて知らずの記をたどる」第23回 陸前落合

子規の風景 「はて知らずの記をたどる」陸前落合

「涼しさや山の下道川つたひ」
子規


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 八幡から国道48号を山形方面へ向かうと、広瀬川を跨ぐ生瀬橋がある。子規がとった道筋は、橋の手前を右に折れ川を左に見るルートだ。しばらく進むと、赤い小さな新落合橋がある。彼はそこで広瀬川を渡り愛子へと向かった。
 実際に現地を訪れた。小さな畑や民家、社屋がぽつぽつと続く静かな風景だ。右手には山が迫り、左手にはうっそうとした木々越しに、川へと落ちこむ対岸が見え隠れする。
 話はそれるが、先日、ある会合で伊達藩の町づくりの話を聞く機会を得た。興味深かったのは講師の方が「時を経て町並みは変わったけれど、「空間」は変わっていない。そのことの大切さに気付いてほしい」と語っていた事だ。
 ともすれば、時代とともに景観は変わったと思いがちだ。だが山河の醸す「空間」はそう変わるものではない。たしかに百年という時は多くの建物のたたずまいと行き交う人のいでたちを変えた。しかし子規が渡った広瀬川と河岸、山塊が作り出す空気の器は、彼がたどった空を今に伝えているように思えた。

絵と文/古山拓
picture & text by Taku FURUYAMA all rights reserved


子規の風景 「はて知らずの記をたどる」第22回 八幡

子規の風景 はて知らずの記をたどる

「廣瀬川に沿ふて遡る」
(はて知らずの記)


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 正岡子規は、出羽へ向かうルートとして関山越えを選ぶ。それは広瀬川に沿う道だ。徒歩で峠へ向かう彼に、川渡る風は最上の涼だったに違いない。
 以前、広瀬川を源流付近から河口まで辿ったことがある。きっかけは、広瀬川をテーマに開催された美術展だった。私にとって制作のための現地取材は新鮮そのもの、普段何気なく見ている広瀬川を見直すこととなった。その地に暮らしていると、当たり前すぎて見逃している事は思いのほか多いものだ。
 当たり前といえば、今普通に使われている表現に口語体がある。思考をしゃべり言葉に置き換えるというそれは、実は明治の表現変革を経て辿り着いたものだ。子規は友人であった夏目漱石らとともに思考の表現維新に関わった。
 子規の文体は単純明快だ。冒頭の言葉はわずか九文字。だがそれは、子規が、文学者として時代と戦っている姿だと私は思う。
 当たり前に見える原野に、疑問符という鍬をざくりと振り下ろす。その鍬が新しい時代を切り開いてゆく。

絵と文/古山拓
picture & text by Taku FURUYAMA all rights reserved


子規の風景 「はて知らずの記をたどる」第21回 国見

子規の風景 「はて知らずの記をたどる」国見

涼しさを君一人にもどし置く
(子規)


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 絵は国見のうなり坂付近から山形方面を見たものだ。5日間の仙台滞在後、子規は、山形に向けて旅立つ。最後の2日間は国見の南山閣に滞在し歌人鮎貝槐園(かいえん)と文学談議に花を咲かせている。8月5日、2人は共に唸り坂を下り、大崎八幡神社の門前で分かれ、子規は出羽路を歩き出す。
 右へ行こうか、左へ向かうか。
 この時の感覚ほど「旅」の機微を集約している気持ちはないと思う。見知らぬ地で分かれ道にぶつかった時の、全身がアンテナになったような感覚。私も今までいくつかの異国の地をさまよったけれど、岐路に立ち感度を高めることが、風景や人との出会いを招いてくれた。
 出羽路という、見知らぬ世界への岐路に立った時、子規はどんな感覚で歩き出したのだろう。
 この回が掲載される4月は、この国ではさまざまな岐路がおとずれる春だ。
 日々是旅なり。
 人生のつじに立ったとき、道筋を自分の決意で選び取る。そのことは、輝く未来へつながっていると信じたい。


絵と文/古山拓
picture & text by Taku FURUYAMA all rights reserved




子規の風景「はて知らずの記を辿る」第20回 瑞鳳殿

子規の風景 はて知らずの記をたどる

涼しさや君があたりを去りかねる
(子規)


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 子規仙台遊覧の一日は、宮沢仮橋を渡り愛宕神社に詣で、伊達政宗の霊廟(れいびょう)瑞鳳殿を訪ねることで終わる。
 彼は廟へのアプローチの印象を「老杉翁鬱山路幽凄堂宇屹然として其間に聳ゆ」と記している。現地に立った私は、あらためて彼の言葉のデッサン力の確かさに立ち止まってしまった。
 現在の瑞鳳殿は、第2次大戦の空襲で焼け、1979年に再建されたものだ。しかし子規は1637年に建てられたままの姿を明治期に見た。当時、門は閉ざされていたようだ。彼はその隙間から霊廟の彫刻彩色に感嘆し、句に「君」と詠んだように伊達政宗へ思いをはせている。
 スケッチブック片手にその瑞鳳殿を歩いたけれど、どうにも子規の姿が脳裏に浮かばない。実は今までの連載の絵の多くは、子規の姿が構図の中にオーバーラップしたときに筆が走っている。
 廟を描く事を諦め、感仙殿へ向かう道にさしかかった時、ふと子規の後ろ姿が道の先に見えた気がした。
 冒頭の句の「君」。それは私にとっては、まぎれもなく子規だった。


子規の風景「はて知らずの記を辿る」第19回 愛宕神社

子規の風景 はて知らずの記をたどる

川のかなたは即ち仙台市にして高楼画閣掌中に載すべし。
(はて知らずの記)


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 子規が広瀬川沿いにある愛宕神社に登ったのは8月2日だ。「はて知らずの記」には、崖の真下、広瀬川に遊ぶ釣り人や、川泳ぎに興じる人の描写がある。けれども句の記載はない。
 実際、神社に登ってみた。冬枯れの樹々の向こうにビル群が広がっていた。寒い日ではあったけれど、街を自分の腕に心地よく抱え込める、そんな場所だ。
 断崖から対岸を見た子規が、このアングルを前に句を詠まなかったはずはない、そう思い草稿集を当たってみた。 
 実は「はて知らずの記」は、半紙に墨書された16枚の草稿がベースとなっている。今に残るそれは、紀行に掲載されなかった句をも知ることができる貴重な資料だ。しかし残念ながら愛宕神社の記述にかかる一枚は欠落紛失していた。
 何事においても、わからないことは、イコールマイナスではない。思いを巡らすという遊びがそこには生まれる。この風景を前に、子規はどんな言葉で遊んだのか…。私なりに一句、と構えてみたが、わかったのは己の歌詠む才のなさ。結局、川向こうの仙台市街に絵筆で遊んだ。



「子規の風景」 第18回 仙台・宮沢橋より愛宕山をのぞむ

子規の風景 「はて知らずの記をたどる」のアップが滞っていました、、、
ずいぶん遡ってしまいますが、新聞連載を転載します。

子規の風景 はて知らずの記をたどる

「宮澤渡りの仮橋を渡りて愛宕山の仏閣に上る。」
(はて知らずの記)


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 毎回いかにも知っているかのように書いているけれど、絵描きの調査なんてたかがしれている。多くの識者が労を重ねた文献や、連載をきっかけに情報をくれる人たちの助けを得て、ひとつの視点で不器用に織り上げているにすぎない。
 その織糸は、多くの助けと、訪れた現地で喚起された印象、そして描いている時に脳裏に降ってくる言葉たちだ。
 国見に遊んだ正岡子規は翌日愛宕神社を訪れる。明治二十六年、今の愛宕橋はまだない。子規は舟丁から簡素な木橋だった宮沢橋を渡り愛宕山へ向かう。
 私も宮沢橋に立ちスケッチブックを取り出した。それまで多くの文献や人々がくれた情報が想像力と出会い、勝手に脳内で映像を結び言葉を紡ぎ始めた。
「宮沢渡りにはどこで曲がるんだい?」と尋ねる子規が心に遊ぶ。そこには短い会話でも子規と繋がる人がいた。ふとその時「助け」という言葉が舞い降りた。
「そうか、「繋がる」という事は「助ける」ということなのか。」
「なんだ、今ごろわかったのか?」と、子規が私を振り返ってつぶやいた。

2012年06月24日

妻は出羽のおなご

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妻の出身地は、出羽、山形です。
「出羽のおなごは働き者だべした、、」なんて、これは「おしん」だ。
そんな、いままでさんざん自営絵描きを支えてくれてる妻です(と、がしっともちあげておこう=笑)が、彼女の実家がある山形市で、今年の夏の終わりに、はじめて個展を開きます。
お礼参りだ、ある種のこれは(汗)
会場は山形市内、七日町の大沼デパートです。

予定では8/22からだったのですが、直前のギャラリー催事が絵画バザールと決まってしまったため、(バザールの後の個展はきつい=汗)責任者の方が、急遽一週間、間をあけてくれました。
会期は8/29から9/4までで本決定です。

昨日、青葉アートスクールで水彩画の講座をしてきました。
そのとき見本として持っていった絵も、山形の絵でした。
描いた場所は白鷹というエリアですが、山形は山並み、最上川、日本海、出羽三山と目にまぶしいところがいっぱいです。食もめいっぱい楽しめるしね♩
先日、日本海まで足をのばしましたが、もう一度くらいは取材に行きたい、と目論んでるところです。

閑話休題

山形というと映画のロケ地でも最近とみに脚光をあびていますが、私がまっさきに思い出すのは「たそがれ清兵衛」。
封切りの日、仕事で東京へ行っており、お台場の映画館で観ました。いい映画でした。
で、いいたかったのは、冒頭の冬のシーン。
私は「これは、まちがいなく山形県内でロケしたに違いない」と思ったのですが、案の定その通り。
スクリーンにあった光と陰は、まぎれもなく私の知っている山形の「冬の空気=湿度」を醸していたのです。
福島でも宮城でも岩手でもなく、「絶対山形!」とおもったのですから、湿度を通した光と陰ってすごい説得力を持っているんですね。
おそるべし、光と陰。
…と、こう書くことで、オノレの褌のオビをしめなおすのでした(笑)


---ちょっとおまけ♩---
     ↓
8年ほど前に、某デパートの情報誌の仕事で、「山形/鶴岡スケッチ紀行」の仕事をしていました。
その担当していた絵と文がみつかりましたのでご笑覧ください。
絵は、パンフの見開きで構成したものです。(右上の空白には、通しタイトルが入っていました)
++++++++++++++++++
「山形・藤沢周平の面影を訪ねて」

海坂藩。藤沢周平文学の舞台となる架空の藩は、氏の生まれ育った地、鶴岡がモデルといわれている。藤沢文学を鍵に、冬の庄内平野を訪ねてみた。


 「たそがれ清兵衛」「蝉しぐれ」「隠し剣鬼の爪」。舞台は三本とも海坂藩。いずれも派手な英雄豪傑は存在しない。原作者は、藤沢周平だ。
 正直に言おう。実は私は映画で藤沢周平を知ったクチである。たそがれ清兵衛を劇場で見たその足で、本屋へ直行した藤沢周平後発組だ。
 そんな私に、海坂藩のモデルとなった鶴岡周辺を歩いてみないかという。予習に再度、二本の映画を見、藤沢文学を読み直す。頭の中に海坂藩のイメージをふくらませ、地図と首っ引きで庄内を歩いてみた。
 市内、気をつけて歩いていると、「藤沢周平ゆかりの地」の看板を見つけることができる。総て廻ると数は十八。神社、寺、橋、庭、街角と、看板を探し回るだけで一つの旅のルートが出来上がる塩梅だ。
 郊外に足を延ばす。映画でその姿を見せた月山、最上川が美しい。日本海へ向かうとかつての天領大山や、由良海岸周辺にもゆかりの地は広がってゆく。羽黒山や玉川寺、金峯山、赤川河川敷といった映画ロケ地をめぐるのもおすすめだ。迷った末に探し当てたロケ地を、改めて映像で見る贅沢。探したものだけが味わえる美酒でもある。
 実は今回、スペース、構成の都合、あるいは思いが強すぎて泣く泣く絵にできなかった場所がいくつも存在する。それはまた、いずれどこかで…。

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posted by タク at 22:42| 宮城 ☁| Comment(2) | TrackBack(0) | 水彩画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年06月22日

露天風呂で古代ギリシャ

仕事の仕込み取材もあって、作並の温泉宿に一泊してきました。
長い木造の階段を下りると渓流沿いに大きな露天風呂がある、知る人ぞ知る露天風呂で有名な岩松旅館です。
今まで何度か泊まっていますが、今回は仕事の素材集めなので、いつもと勝手が違っていました。

今回の目的は、風呂から見た景色。ですが、そう、露天風呂はカメラ、ケータイ、とにかく記録するツールは持ち込み不可なのです。じつは、この露天は基本混浴、カメラなんて持って入れるはずがない(笑)

で、小さな紙片とボールペンを脱衣所まで持ち込み、風呂へは手ぶら。じ〜〜っくり脳内スケッチをし、湯上がり後ダッシュでロビーに戻り、「脳内からイメージを手先に流して」スケッチ開始。で、木造階段ふたたび降りて再度入浴、またまたじっくり観察、おっと、露天からの眺めで、決して入浴している方々ではないですよ。そんな繰り返し。
しかし、人間の脳とは、目で追いながら手を動かすと、思いのほかイメージを覚えているものです。

こんな温泉取材ははじめてだったけど、湯につかりながら渓流から立ち上がる岩塊を脳内トレースしていると、時が数百年遡ったかのような錯覚におちいりました。そして、おもわず、学生時代ゼミでお世話になったギリシャ古代史の恩師・故大江善男教授の言葉が聞こえました。
「私の時計はね、二千年前で止まっているんですよ」

どきっとしました。岩くれが数千年人間を見続けている感覚とでもいったらいいのかな。

西洋古代史をつまみ食いした程度でしかなかったけど、それでも、古代史を先生に教えてもらったことに、今、あらためて感謝しています。

あ、今、テレビや映画でも大きく話題になっている、「テルマエロマエ」ってコミックがありますが、意外と私と同じような連想が連載のきっかけだったとしたら、愉快だな(笑)

そうそう、今朝、チェックアウト直前に、部屋からみた山並みの眺めを落書きしていたけど、そのとき、さ〜っと鷹が視野に入り、遠くへ消えていきました。ちなみに岩松旅館は別名鷹泉閣ともいいます。言葉にならないくらいうれしかったなあ。
この絵は、その落書きとさえいえない落書きです。
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posted by タク at 00:43| 宮城 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | モノヅクリの裏庭 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年06月20日

6月への思い

気がつくと、フリーランスイラストレーターになって19年がたってました。因みにランズエンドの屋号を掲げて独立したのは1994年6月1日。
丁度その記念日を今年は慌ただしくも東京の個展会場でむかえていました。正直、すっかり忘れてました。
そして、屋号に名付けた、イギリスのランズエンド岬に旅したのも1997年の6月です。
私にとって6月ってどこか節目の月でもあります。

節目なんてそう大層な意味があるわけじゃないことはわかっているけど、この月の空気感は、初心を思い出させてくれます。

イラストを描きに描いて、水彩画を発表しつづけて19年。自分が世界のなかでどこにいるのかを、描くことを鏡にして探しつづけているわけですが、鏡はたまに拭かないと知らず知らずにくもっています。6月は鏡を磨く月かもな、なんておもった朝でした。

さあ、今日も一歩だ!

写真は1997年6月、イギリスのコーンウォール半島のはしっこ、ランズエンド岬でのスナップです。
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posted by タク at 09:40| 宮城 ☔| Comment(5) | TrackBack(0) | モノヅクリの裏庭 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年06月19日

凱歌・盛商

おはようございます。
昨日、母校の盛岡商業高校サッカー部がやってくれました♫
東北高校サッカーで、逆転V!!!!!!!

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昨晩飲んだくれていた盛岡商業を数十年前に卒業したナサケナセンパイは、今朝の朝刊に二日酔い気味の頭で、凱歌を思い出してた。
母校の後輩の力強い姿に感謝。スバラシイ!

真摯な姿は、こうやって誰か(=私)の今日の生き方を変える力を持っているんだよね。
ありがとう。

posted by タク at 08:46| 宮城 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | モノヅクリの裏庭 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年06月14日

川口個展・燦ぎゃらりー・リーニューアルオープン展・「東北風景」

「燦ぎゃらりー・リーニューアルオープン展」として開催予定の個展「東北風景」の仕込み打ち合わせが、かちっ♩とギア3速へ入りました。
有り難き哉、埼玉県川口市の川口銀座商店街振興組合さんからご依頼いただいての開催です。

会期 7/18〜23
会場 燦ぎゃらりー
7/21にはリニューアルオープンパーティが開かれ、
7/22にはギャラリー対談ライブをします。
ご一緒する予定の木村裕美さんのサイトはこちら
http://sangakukan.jp/journal/center_contents/author_profile/kimura-h.html
そして、ギターライブをしてくださる谷介さんのサイトはこちらです。
http://ip.tosp.co.jp/i.asp?i=tani_39

震災復興支援個展なので、たくさんの方の気持ちと東北をつなぐためにも、全日会場入りの方向で、ただいま調整中です。
posted by タク at 15:09| 宮城 ☁| Comment(3) | TrackBack(0) | 個展 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年06月12日

正岡子規連載もうすぐクライマックス

正岡子規の東北旅を今に辿る新聞連載も、ピリオドが近づいてきました。

次号の内容は、実は取材ずみで「こんなかんじでいこう」と、大筋きめていたのですが、子規の原文をよみかえしているうちに、ハテナマークがちらつきはじめました。

なので、いてもたっても居られず、急遽現地の仙台と山形を繋ぐ街道、国道48号線を一路西へ。
そこは車で片道45分位なので、すぐに終わるさとタカくくってました。

が、結果あっちへいったりこっちでクルマとめたり。てくてく歩き回ったり。

結局、次回の原稿は、当初アタマにあったイメージとは違う絵と文になります。違う目線で訪れる「現地」がくれるイメージは、これだからバカにできません。
posted by タク at 16:59| 宮城 ☁| Comment(2) | TrackBack(0) | モノヅクリの裏庭 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年06月10日

スイングでいこう♩

おはようございます。本日、仕事場再構築中。
処分するもののヤマの高さが増してます(笑)

今日も、昨日に続きバリサク娘が登板するジャズプロムナードセンダイを聞きに、ちょこっと抜け出す予定です。
昨夕、盛岡個展以来、懇意にさせてもらっているプロベーシストの桜井勝さんの奥様からメール落掌。
本日同イベントに出場する友達のギタリスト、那須尚平さんのバンドでベースを担当ということが判明。
時間も
11:00〜娘所属の東北大学ジュニアジャズオーケストラ(市民広場)
11:50〜那須尚平バンド(勾当台公園)
とタイミングばっちり。
タノシミ〜♩
みなさん、よかったら市民広場、勾当台公園にたちよってみてください。

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posted by タク at 10:35| 宮城 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 音楽 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年06月08日

週末はリセット♩

今日の絵は、ギャラリー喜久田展でお客様のもとへ嫁いだ作品から、
「ヴァンヌの小路」
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「モーゼル風景」
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でした。
ともに気持ちのよいお客様のもとでかけてもらっています。


明日から週末。個展終了後の5日間が終わりました。
個展が終わっての一週間は、高ぶった気持ちのクールダウンをしつつ、一週間留め置いた広告関係のイラストレーションの再起動でした。
このクールダウンしつつも止めていた仕事を回転させるという逆噴射的スタートは、なんというか、うまく言葉に表現できない精神状態に陥ります(笑)カラダも東京滞在中はなんともなかったのですが、家の戻るとさすがにネジのゆるみが自覚症状として出てきますね。

この五日間でしたことは、
ぎりぎりまで締め切りをずらしてもらっていた新聞連載納品。
絵コンテ仕事、カラーラフ数本、モノクロラフ数本。
月末を不在にしてしまい溜まった事務仕事。
個展で嫁いだ絵たちの梱包発送。
受注した水彩画の制作再開。
そしてほぼ毎日の昼食後のシエスタ(笑)

う〜ん、こう書いてしまうと、効率よくやればラクチンなボリュームだよなあ。
でも、「人間、あえて非効率に過ごすことも必要なのさ」と、個展終了後はついいつも自分に甘くなるのです(笑)

今、一番頭を痛めているのは、個展制作と広告仕事同時進行のあげく大混乱した仕事場、、。
明日あさっての休日は、精神、肉体、仕事場と、いろんな意味でクリーンナップです。
あ、そうそう、娘の所属する○北大学ジャズオーケストラジュニアバンド(はっきりいっちゃってるし=笑)初ステージも見に行かなくちゃ!ひょろっとした女の子がごっつデカのバリトンサックス抱えていたら、それが娘です(笑)
9日10日と、仙台のマチナカは、ン.ジャラッタ〜〜ッ.タタッタ♩とジャズバンドがスイングしまくり。
詳細はこちら↓
http://yasuda-music.jp/jazzpro/index.html



posted by タク at 22:49| 宮城 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | モノヅクリの裏庭 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年06月07日

旗をあげた日

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東京で初めて個展を開いたのは、たしか1998年だった…と記憶しています。
ひょんな縁で、小平市鷹の台にある、松明堂書店地下の松明堂ギャラリーで2002年まで都合三回ひらきました。
1997年に仙台で初めて個展を開いた勢いで、つっぱしっての個展開催でした。
今思うに、作家としての心構えなんて何もわからず、「見て見て、わたしを見て〜」的、「おれ、東京(近郊だけど)でヒトハタあげてくるよ〜」的、今振り返るとま〜〜ったく恥ずかしい心構えの個展でした。
ただ、一つだけよかったな、と思えるのは、オーナー夫妻がそんな私を「しゃあないなあ」と見守って受け入れてくださり、たくさんの叱咤を毎回もらったことです。

誰も私のことを知らない地でのアウェイ開催。その中、一点でも嫁ぐとそれはうれしいわけです。
舞い上がる私を、オーナー社長はその度飲みに連れて行ってくれました。
そこで繰り広げられたのは、
映画「寅さん」のような世界。
「おまえ、わかってないだろ?いいか、絵が売れたってこたぁなぁ、、、」
と、舞い上がる若造は、こってりと絞り上げられたのでした。

小平でひらいたそれらの個展から、ほぼ10年がたち、今回ひさしぶりに東京での個展がスタートしたとき、社長のかつての言葉を思い出しました。
「絵を買ってくれる人は、「お前の将来を見続けるぞ」、っていっているようなものなんだ。わかるか?この重さが。これからさき、どんなにつらくとも筆が折れないことを肝に命じること」
「自分のフィールド、東北にとことんこだわり続けろ。やり続ければ結果ってなあ、後からついてくる。」
(↑山田洋次的世界でね=笑)

あれから10年が経ち、久しぶりにアウェイの地で展示した「東北とケルティックランド」展は、人様の遠い縁でもって、たくさんの方の目に絵を見ていただくことができました。あらためて、「縁」は「見てくれている」ことを実感した個展でもありました。

会期途中、5月31日。
松明堂(いまは閉じてしまいました)のオーナー夫妻がきてくれました。
ふらっとあらわれ開口一番、
「お、やってるねぇ。絵描きになろうなんて思ってるんじゃないだろうな」とニヤリ。
お、きたきたっ!はじまるぞ♩…と、思った私の気持ちを察したのか
「そんなことを言ってほしいから、案内くれたんだろ?さて、今日は築地だ。寿司でも食いにいくか」
「はい!!!」

築地での時間が、東京での、珠玉の時間のひとつだったのはいうまでもありません。

1998年、松明堂ギャラリーで開催した「陸奥紀聞」展からはじまった東京での個展は、ちょっと途中空きができてしまいましたが、これから先、隔年で開いていくつもりです。

ご来場くださった大勢のお客様と、さまざまな縁をつなげてくださった皆様に、心よりお礼申し上げます。
ありがとうございました!

写真は2002年に開いた「素描陸奥」展、松明堂ギャラリーの外観です。掲げられている旗は、搬入後、ギャラリーの床面で作ったもの。作家自身の旗を掲げることが、松明堂展示作家の恒例行事でした。
作家が「オリジナルの旗を作って掲げる」というすんごい意味が、10年たった今になって、ようやくわかりました(理解遅いって!=汗)

というわけで、松明堂からギャラリー喜久田展へと立ててきた旗は、このあと7月18日からスタートする埼玉県川口栄町商店街主催震災復興支援「東北風景」展(会場・燦ぎゃらりー)と、8月に山形市大沼デパートで開催する個展へと続いていきます。


posted by タク at 09:46| 宮城 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 個展 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年06月05日

うれしいブログ

東京銀座ギャラリー喜久田での個展を終え、仙台に戻りました。
昼夜とパソコンに向かう時間がとれずでしたが、奇跡の(笑)生還。

最終日、縁深いかたがたがたくさん訪れてくださいました。
そのなかの出会いの一つが、素敵なブログに公開されています。
土井結子さんと土井一郎さん、そして泉璃ちゃん一家です。

最終日報告にかえて、
結子さんのブログを、ぜひ、ご覧いただけるとうれしいです。
「Voice of Yuko」です。(私のブログからリンクでもいけます)
http://blog.goo.ne.jp/196-2004/e/984a033ce1cc622ebb0ee489f64085df



東京のいろいろ感じたことなど、のちほどまとめたいと思います。


posted by タク at 08:58| 宮城 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 個展 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする