アニメーション、イラスト、水彩画、と、描くことで食い続けて、かれこれ29年になろうとしている。早いものだ。
目に見えない「流れ」って、やっぱりあると思う。今にいたるまで、いろんな流れに翻弄されてきた。
「これしかない」と思ってやったところ、ふたをあけたら「なんじゃこりゃ??」となり撤退、とか、義務感にかられてやったことが、裏目に出て「おいおいおい、、、」となったり。まあ、「人生は川の流れの木っ端のごとく」とはいったもので(誰の言葉か憶えていないけど)あっちへふらひらこっちへ淀んでみたりの今までであった。
しかしだ、???となったことや、あるいは「足突っ込まなきゃ良かった」と思ったことが、マイナスだったかというと、決してそんなことはないとおもう昨今でもある。
これは負け惜しみでもなんでもなく、一見最悪に見えたそのアクシデントから、時間を数年、あるいは十数年たった今、本心からそう思っていることだ。テリブルな出来事が皮肉にも新しい道を示してくれる。
正直、自分はものすごい恐がり屋だ。
旅先でもそう。ふらふらしているように見られるけれど、ちょっとでもヤバイとおもったら、脱兎のごとく撤退するあたりなんざ、恐がり以外の何ものでもない。
それでも、突き進んで栄光の自爆を選ぶか、後ろ指刺されようと、じめじめした脇道をいくか?と言われたら、ぼくは間違いなく後者を取る。これも20余年、フリーで生きてきた自分なりの指標だ。…なんて書くとカッコつけ過ぎだね。フリーの絵描きなんて、社会的に最底辺もいいところだ。一人なら、とうの昔にあっさりとどっかで果てていただろう。
そんな自分がここまでこれたのは、バックで支える妻が居たからだ。
彼女が居たから撤退もできたし、後ろ指さされようといままでやって来れた。それは帰る場所があったからだ。
明日は結婚記念日だ。
いよいよあと少しで、妻と二人で新しいアトリエの旗を立てることになる。そんな意味でも今年の結婚記念日は、節目の日になりそうだ。
キーを打ちながら、ふと、今年の春の英国旅で最後に泊まったホテルを思い出した。
名前はHotel Resolution。
ヨークシャーのウィットビーで、なぜか惹かれて泊まったホテルだ。眺めが最高の宿だった。泊まった部屋の窓辺からは港町とウィットビー・アベイが見渡せた。
ヨークシャーに出発する前日、ウィンザー近郊に住む友人が、「タクさんはすごい名前のホテルに泊まるね」といってのけた。
英語に弱い私が日本語訳を尋ねると、「訳すなら「決意」って意味かな」との答えが返ってきた。続けて彼女はこういった。
「タクさんは何を決意したの?」とも。
そんな明日、レストランに予約を入れた。
描くことで食ってきた29年目のResolution。26年間、耐えてきてくれた妻と、料理とともにその意味をしっかりと味わおうと思う。
心のHotel Resolutionは、思いのほか近くにあったのだ。
posted by タク at 18:37| 宮城 🌁|
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