私の創作姿勢や作品への有り難くも重い言葉の数々に、恥ずかしい限りです。
やはり絵は作家の恥を描いているのだと思います。
以下、転載許可をいただいたので、アップします。
“みちのくへ涼みに行くや下駄はいて”俳人正岡子規が明治26年病を押して東北の旅に出た。その足跡をたどる旅を河北新報に連載した『子規の風景』は名連作である。作者古山拓さんは,連載の冒頭に自身の意思を記している。「旅の画家」と名付けたくなる所以である。
「旅に出よう」その感覚は人の心の根っこに潜む独特の感情の一つだと思う。きっかけの大方は,何かの節目だ。心をチェンジするときや学びを得ようとするとき,はては大きく前に進む決意を持ったときなど,言い換えれば強い意志で未来を変えようという意思が人を旅に誘うのだろう。私自身,絵を描くよりどころの一つに旅がある。もちろん新しいインプットを求めてだ。」
旅に出ると,否応なしに自己との対話が始まり,自己を凝視し旅先の風景と重ね見る。そこに発見があり感動が生まれる。その感動を水彩画という伝達手段で私たちに提供してくれる。
森信三は人間の偉さの要件を@情熱Aそれを浄化する意志力という。(『修身教授録』P336より)情熱は感動する心から生じる。拓さんの作風は,自身が受けた感動から始まる情熱を徹頭徹尾浄化し,清明な意味ある世界として私たち鑑賞者に提供してくれていると私は解釈する。
≪ブロンテブリッジへの道≫ (56×64.5cm)
柵を石で作るのはイギリスの北方の風習であろう。南方は,ほとんど木で囲っているそうだ。長い年月,何代にも渡って,耕作地からじゃまな石を拾い出し,積み上げた結果がこの連綿と続く石の柵であろう。背景の丘にも所有地の境界だろうか。延々と石の柵が続いている。一点透視図法で,鑑賞者を羊と煉瓦づくりの民家に視線を誘う。それによって,羊が二頭まるで民家の主であるかのような存在感を持たせている。拓さんの風景作品には,そこに住む人々の暮らしや歴史が描き込まれている。そのまなざしは常に優しい。
「時の積み重ねは美しい。その美しさは暮らす人々の思いの地層だ」(子規の風景より)
≪40degres N ♯8 一方井付近≫ (30.5×63p)
厳しい岩手下ろしのためか吹きだまりが道の境を消している。荒涼たる原野か?そうではあるまい。画面の中心に電柱を配し,枝を広げた一本の木が寒風に負けず凛と立っている。かつては雑木林の原野だった所を,畑作地か牧草地に開墾し,電気を通したにちがいない。冬の厳しさを克服し,たくましく農業生産活動に励む岩手町民のじっと春を待つ心があるではないか。岩手の人は,北緯40度の寒風が厳しければ厳しいほど,早春の芽吹きを心待ちにして,春耕へのエネルギーを充電する。
拓さんの描く雪景色は,風も雪も冷たいけれど,じんわりと温かい。 (文責:平澤勝郎)