旅は自分にとって必須アイテムだ。
普段の仕事は机やイーゼルに向かってしこしこ水彩画やイラストを描くことだけど、旅は、技術以上に何より大切な、大いなる無駄だと思っている。
そこそこ描くことで食ってますと言える状況になると、当然画力や技法、表現力などは、そこそこになっているわけだ。
でなければ仕事は来ない。カンナかけれない大工に仕事は来ないのと一緒だ。
その段階になると技術より深いものが必要になってくるとあらためて思う。それは多分仕事以外のところで何をしているか、なのだと思う。それを口が悪い、あるいはシャイな生きる達人=成功者は「遊びが大事だ」なんて、照れ隠しで言うわけだ。
自分の場合、それは何かとなると、一人でふらつく旅だったんだな、と、あらためて思い出させてくれた映画が、表題の作品、「わたしと会うための1600キロ」だ。
この邦題、ひさびさにやってくれたね、配給会社。多分邦題決めたヒトは一人放浪旅経験者に違いない。
一人旅の何がすごいか、というと、ひたすら考え、過去と現在、そして未来と対話している、ということだ。思索の連続なわけだ。仕事と日銭稼ぎに追われる日常においては、少なくとも私はそんな旅の精神活動ができたためしがない。
何が自分にとって大切で、どんなことが嫌なのか、どこまでも突きつけられるのが一人旅だ。迷ったり雨に濡れそぼったり、宿が見つからずに焦ったり、疲れてレストランのドアを押す気力も失せ、テイクアゥエイのカウンターで出来上がりをぼーっと待っていたり。そんな中で頭に浮かぶ思考、思いこそが旅の収穫なのだ。
映画はまさに、旅慣れていない一人の女性が荒野を彷徨うという、一人旅エッセンス高濃度な状況が延々と続く。差し挟まれるのは過去の出来事とモノローグだ。どこまでも自分との対話が続く。
描くことに戻るけれど、結局表現できることなんて、たかが知れてる。自分が考えている以上のものは表出できないんだな、きっと。絵は文章とは違い、ウソが下手だ。なおさら自分が隠せない。筆のタッチの奥ににうっすらとあるマチエールは、あくまで自分の経験の範囲で得た何かでしかない。おそるべしは「思索」なんだ。
映画を見終わって、今までの旅の中での自分モノローグを思い出し、気恥ずかしくもなり、あれこれつらつら自分とおしゃべりしてしまう映画でした。傑作四つ星です。