映画で生き方が激変するとは思っていない。
だけど、多分に自分の嗜好、右左選ぶクセ、行動の規範みたいなものは、いままで観てきた映画に少なからず影響されているといってもいい。
育った世代的に、映画は非日常エンタティメントの代表格だった。だから、当然といえば当然なのかもしれない。ま、やたらと影響受けやすい自分の単細胞的な性格あってのことだけど。
思い返すに深く影響受けてしまったに違いない映画の一本に「パリは燃えているか?」がある。
正直、今、ほとんど内容は覚えていない。なにせこの映画を見たのは今から40年前の中1の時だ。
中学に入って吹奏楽部へ入部した私の好きな音楽ジャンルは、ビートルズでもストーンズでもなく、実は映画音楽だった。
こずかいを貯めてようやく買った一枚のLPレコードは戦争映画のサントラ集だった。
その中に一曲のワルツがあった。心惹かれて何度も聞き直した。そのワルツが使われていた映画のタイトルは「パリは燃えているか?」だった。
こんな素敵なワルツが使われている戦争映画って、どんな映画なんだろう?「パリが燃える」ってどういうことなんだ?大人は変な言葉を使うもんだな…ってライナーノーツを読んで思ったことを覚えている。
岩手の片田舎の小さな町に住んでいた私は、土曜の昼さがり、「パリは燃えているか」がテレビで放送されることを知り、部活をサボり、全力疾走でテレビの前に滑り込んだ。と言っても家のテレビではない。
家は学校から離れていた。どうがんばっても放送開始までたどり着けなかった。なぜか父が、会社を経営する友人に根回ししてくれて、私はその父の友人宅へ上がり込んだのだ。そんなお付き合いが許された古き良き時代。
ちなみにその社長と古山家は今でもお付き合いがあるという、大河ドラマ的スケール感パナビジョン。
話がそれたので戻す。
映画の内容はパリ解放のそれだった。劇中頻繁に登場したレジスタンスというキーワードは、多感な中学一年生のココロに根を張り、その後もずるずると引きずることになる。
といっても、アンチな活動に参加するわけじゃない。気がつけば社会の主流があれば、なぜか自分が立ってるのは傍流、団体に権威のカゲを見れば即離脱。「私のそばにいれば悪いようにはしないよ」なんてささやかれた暁には即刻脱退。(実際ささやかれたことがあるし、手を変え形を変え、社会の型のひとつになっている。世の中はそういうものなのだ)
こんな流れで生きてくると、堂々たる人生とは程遠い今に至るわけだ。
しかし、この先せいぜい生きたとしても中学から今までの年月分はあり得ない。だから、今まで生き延びられたということで、すでに映画の影響の元は取った、と思うことにしよう。
先日、レンタルビデオ屋でその「パリは燃えているか?」のDVDが復刻されているのを見つけた。いったんDVDを手にしたけれど、一呼吸置いて棚に戻してしまった。
一呼吸の間。
その時に駆け巡ったのは、ここまで書き連ねたことだったと思う。
さらに言えば、棚に戻したのは、今、見ることで、40年前という年月が空っぽになるのが怖かったから、なのかもしれない。
映画の舞台となったパリをはじめて訪れたのは2001年だった。イタリアからフランスブルターニュへ向かう旅の途中だった。降り立った駅はモンパルナス。
その旅以前もヨーロッパはあちこち旅していたので何度かパリを訪れるタイミングはあったのだが、「パリは別格だ。芸術に本気で取り組む人間が訪れる場所だ。チョロい自分がおとずれるには、相応しくない」と、迂回していた。本気でそう思っていたのだから、若き日の思い込みは怖いものだ。
2001年、イタリアからの夜行列車に揺られて、おそるおそるたどり着いた花の都。そこは「パリは燃えているか」のワルツが似合う「光の町」だった。
映画を観てから月日はめぐり、はじめてパリを描いた作品、それは鉛筆デッサンで逆光に浮かぶ街角を切り取ったものだった。
「パリは燃えているか?」が誘った一枚。
その絵は2001年の個展「ケルトの地へ2-トスカーナ・ブルターニュの旅」展で嫁いでしまって既にない。
posted by タク at 00:06| 宮城 ☀|
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