昨日、日本郵便宮城県版絵入り年賀状のイラストが新聞紙面で取り上げられました。
水彩で描いたのは渡り鳥の聖地、伊豆沼の白鳥。背景には栗駒山を描き入れました。
描けたのはやはり現地取材あってのことです。いままで十数年、東北はあちこちフィールドワークのごとく駆けずり回って来ましたので、各地の空気感は体に染み入っています。今回の絵ももちろん現地にしっかりと取材しています。
わたしが東北を描くようになったきっかけは、とある今は無いギャラリーのオーナーMさんのアドバイスがあったからです。
「海外を取材している絵描きはゴマンといる。自分を育ててくれた東北を歩きなさい。続けると何かいいことあるよ」
東北行脚をはじめたのはそんないきさつでした。しかし大変でした。何が大変かって、旅費交通費が突出。海外に取材旅行かけた方が安いとさえ思えました。
それでも地図を開いてはあちこちにアンテナに引っかかる場所を探して来ました。
スケッチはもとより撮影した写真も膨大な量があります。こんな仕事の時にその資料写真が生きてくる。多分東北在住のイラストレーターで、取材距離の総キロ数ならトップクラスかと思います。
おかげで東北を描く仕事をいろいろさせていただきました。
そんなアドバイスをくれたMさんが亡くなったと喪中欠礼が奥様から届いたのは最近のこと。
絶句でした。
わたしにとって絵に携わることで生きる厳しさと、東北の風土にこだわる教えてくれたのはMさんでした。
個展をするたび飲みに連れ出してもらい、いつも待っていたのは厳しい説教でした。褒められたことはありません。
それでも震災の直後に被災地仙台で開催した個展に、前置きなく現れて「生きてたな」。東京のはずれで個展をしても必ず足を運んでくれました。
今になって師匠の一人だったんだ、とあらためて葉書が心に突き刺さりました。
今、アルティオの壁面には書家、岡本光平氏の揮毫した、古代ケルト語の「アルティオ」を「漢字」に当てた一幅の額がかけられています。
その文字は『阿流弖為於』。
岡本光平氏が「ギャラリーオープンのお祝いだ」と、贈ってくださった書です。
「蝦夷の末裔の拓ちゃんには、アテルイ=阿弖流為の組み替えしかないな」
「アテルイ居る処」とわたしは勝手に理解しています。
そう電話で言って、出来上がって来た書を見て驚きました。まさに東北の大地から湧き上がって来たかのような魂の書でした。
この書をみるたび、アテルイが駆けた東北蝦夷の地で生まれ育ったことをあらためて考えさせられます。
Mさんは、多分、書を見てくれている。そして、絵描きの前に一人の東北人としてのプライドを忘れるな、と、今もわたしに説教しているような気がしています。
最後に記事をアップしておきます。
posted by タク at 17:57| 宮城 ☁|
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