2011年06月11日

震災三ヶ月目、そして明日

今日は、茶柱横町寄稿「旅絵物語」より改稿版転載です。 

「仙台からの手紙・その2−破れたふいご」

震災から三ヶ月が立ちました。
この間、描く事を仕事にするぼくが、仙台で、モノヅクリのハシクレキレッパシとして、何をかんじてきたのかを書きたいと思います。

モノヅクリを暮らす糧にしているぼくが、十数キロ先が津波で壊滅しているこの町で、すべてが止まってしまったようにも感じる東北で、なにをこの間感じていたのか?
いまさらながら「流れに流されていた」としかいいようがない。
でもいつまでも流されてばかりじゃ、ステキな明日ははじまらない。
そろそろ、「ひとり反省会」をしなければ前に進めない段階がやってきた。

震災後、やってきたこと。それは個展を二つ開催し、わずかながら動きはじめた仕事をこなし、あいた時間を見つけての「被災地入り」。そして義援金窓口運営へ参加。
大方そんなところだ。

最初の1ヶ月は、仙台で震災復興支援個展「明日へ」をスタートさせ、義援金窓口開設に関わり、毎日誰かとひたすら会うひと月だった。サバイバル脳内麻薬物質全開で乗り切った一ヶ月だ。

2ヶ月目のヤマ場は、震災前から決まっていた岩手盛岡にある百貨店での個展だった。
準備と現地入りで、これまた考える間もなく終わっていた。(奇しくも盛岡の個展の最終日、5月11日の新聞には「震災から2ヶ月」の文字が踊っていた)
いやが応にも人と会うことでギアがくるくる回り、おのずと前に進めていた2ヶ月だった。

そんな合間をぬっての「被災地入り」が、今までの人生の中にはなかった大きな事件だった。

「被災地入り」といっても暮らしているのは仙台だ。距離的に全然たいしたことじゃない。
ちょっとクルマを走らせると、津波にガッツリやられた石巻や気仙沼だ。朝出発して,昼前には陸に打ち上げられたマグロ漁船の球形船首を頭上にあおぎ、夕方はまた仙台にもどることができる。岩手の被災地となるとさすがに日帰りはきついけれど。

文にすると、たったこれだけの事だけれど、その現地の空気がモノヅクリのぼくに問いかけて来た事は、あまりに大きすぎた。
いまだに整理をつけられない自分がいる。
それはそうだ。人間の想像力なんて、たいしたもんじゃないだろ?、と、たたきつけられるのが、「現地入り」だった。

そんなことの繰り返しで今に至ります。

そうして2ヶ月が過ぎ去り今日で丁度3ヶ月。
なんというか、「絵を描こう」とか、「なにかを発表しよう」といった、以前あたりまえに抱いていた心持ちとは、何かがズレてしまっている。

たとえば、「描く」という事。
ぼくに関していえば、震災後もこれほどまでに、エネルギー枯渇が続くなんて、思ってもいなかった。描くって空気を吸うみたいに当たり前の事で、なんのギモンも持たずにやってきていたことだったから、時間が立てば大丈夫だろう…そう思っていた。

それが、崩れた。

ゲンパツじゃないが、ハヤリ言葉でいうところの「想定外」ってやつだ。
あたりまえに「空気」のように感じていた「生み出すチカラ」は、実はあたりまえに存在するものじゃなかったのだ。

個展をこの2ヶ月に2度開催した。
そのことは、前にも書いた。
ここで、第一の「あれっ!?」があった。

長い会期を乗り切るため、途中で展示替えが必要だった。
ところが、「描けない」のだ。
筆が、動かない。
いや正確に言うと「描くテンション」、すなわち、「無心で筆が動く」まで気持ちを持ち上げるのに、ものすごい時間がかかるのだ。
正直辛かった。
例えば、桜。
震災後、近所に咲いた桜を見、その美しさにため息がもれた。でも、筆をとるエネルギーは湧いてこなかった。
「いったいどうしたっていうんだよ?」
「感動」と「描くチカラ」は別物だった。
例えて言うなら、火の勢いをつける「ふいご」に穴があいたような、そんな感じ。それがちかいかもしれない。

今、これから何を表現すべきか?
今の私たちに何が必要か?
最近、そんな震災にかかる意見を、有名な作家、映画監督や音楽家が寄せるコラムなんかで目にするけれど、たぶん、みんなそれぞれに正しいし、当たっていているんだと思う。

ぼくも自分なりに、3ヶ月考え、乗り切って来たつもりだ。
けれど、ふいごの破れに気がついた自分に今、必要な事、それは震災の現場に立つ事でも、がんばろうと声を上げる事でも、表現し続けようと叫ぶことでもない。
ふいごを繕うことが、今これからもモノを表現していく自分にとって一番大切な事なんだと感じている。

どうすればその穴はふさげるのだろう?
じつは、偶然、2ヶ月半ほどたったある日、効果的な修繕法をみつけました。
それは、311が発しつづける「◯△しなければならない」という、ある種「脅迫」からいったん撤退すること。言葉悪いかもしれないけど、逃げること、といってもいいかもしれない。

思うに震災直後から、雨あられのように撃ち込まれていた、「◯△しなければならない」という弾幕。気がつかないうちにココロのふいごは被弾していたのだろう。
急激に大量の「しなければならない」空気が入った結果、ふいごは破れた。そう感じてる。

さいわいにも、とあることがきっかけとなって、今、破れに気づき、繕いつつあります。
人間、気づかないうちに破裂寸前になっているものだな、と、あらためて痛感してます。

さて、ふいごの修繕もおわり。鋭気も補給完了。
311は長期戦。
ぼちぼち戦線復帰です。

isinomaki_hisaichi001.jpg

今回の絵は、石巻の製紙工場周辺での被災地ラクガキメモ。
こんなものは作品の「こやし」、決して人様に見せるものではありません。
が、罵声覚悟であえて載せておきます。
いつか誰かの心に届く作品に昇華する事を祈りつつ。

isinomaki_hisaichi002.jpg



♪♪♪コレカラ予告♪♪♪
311戦線復帰第一弾
河北新報夕刊に、水彩画とエッセイによる連載がはじまります。
来週月曜からスタートです。

タイトルは
「子規の風景」-はて知らずの記をたどる-
第一回目 東京.根岸

隔週月曜掲載です。
ウエッブでも随時アップして行く予定です。
オタノシミニ!!!!


posted by タク at 19:10| 宮城 ☁| Comment(10) | TrackBack(0) | 東北関東大震災 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
 お気持ち良くわかるつもりです。
 絵を描くことを仕事にしているわけでもないのに、私も何となく描けないのです。
 被災地の方々のことや、長い間仕事をしてきた釜石や日立市のことを考えたり、そして、嘘ばかりの原発に憤りを感じてブログを書き続けたり…。一方では、自転車に新しい関心を持ってみたりしているのですが、絵の方にどうも気が乗らないのです。

 でも、タクさんの方は、どうやら次のスタートが切れそうな気配ですね。
 楽しみにさせていただきます。
Posted by のび太 at 2011年06月11日 21:47
ほんとに同感です。
締め切りがあってせかされている仕事はともかく、ずっと情熱を持ってやってきたはずの制作に向かう力が足りない。こんなテンションでこの素材を扱ったらいけないと思うのですが、なにかが変わってしまった。
でも、これも進歩の新しい一形態かもしれない、と、自分を眺めているところです。

いままでと同じ心では向き合えないんだなぁ。なんだかんだ、いままで無邪気だったなぁ。もっと大事に、日々を歌うことなんだろうなぁ、と思い始めたところ。


英気補給完了。素晴らしいです。
Posted by 祐子 at 2011年06月12日 00:17
タクさんが言ったようなこと。ずっと考え続けている。今は言葉がうまくみつけられないけど探し続けたいと思っている。ごめんね。上手く伝えられない。
Posted by ゆみ at 2011年06月12日 00:56
のび太さん、モノを作り出すという行為は、人間の本能と繋がっていますが、微妙に離れてもいるものだと思います。
今回の震災では、本能が活動インジケーターのほとんどを占めたのでしょうね。
そろそろ「震災その後・第2段階」、徐々に皆の気持ちも変わってくるのではと思っています。
Posted by タク at 2011年06月12日 10:11
祐子さん、ありがとう。
「でも、これも進歩の新しい一形態かもしれない」に救われた気持ちです。
あの日以降、表現をシゴトにする者として、どう生きるかを問いかけられてる気がします。

栄養補給、完了宣言、あえてしました。
でないと、またへこむかもしれないので(笑)
Posted by タク at 2011年06月12日 10:17
ゆみさん、今回の震災は、答えが出るほど簡単なものじゃないですよね。ずっと探し続けるのが大事なことなのかもしれません。
この日記も、探している途中の反省記録です。
これから気持ち、考え方が変わるかもしれません。
でも、止まっているよりは、いいよね。
Posted by タク at 2011年06月12日 10:21

 読んでいて、とても とても よくわかりました。

 「何かをしなければならない」

と思うことからの撤退。まさに同じく同じことを
感じ、何もせず ただ じっとしておりました。
心が枯れておりました。

 当方もやっと浮上。動きが始まったところです。東松島の家の件、夫と考えがまとまりましたので、兼ねてお願いしていた件の具体的相談も
できるかと思います。

 連絡遅れていてすみません。
 この場をお借りしてお詫びです。
Posted by 木村澄子 at 2011年06月12日 10:29
木村澄子さん、こんにちは。
やはり皆、やっていることはそれぞれだけど、同じように感じていたんですね。

東松島町の件、お詫びなんてとんでもない。
気持ちと準備が整いましたら、遠慮なくご連絡ください。
お待ちしていますね。
Posted by タク at 2011年06月12日 11:54
私は二十代の頃、9年間の療養生活を送っていますが、社会復帰にあたって一番大変だったのは、身体同様衰えた心のスタミナを回復させることでした。
少しずつ、無理をちょっと、でも休養も十二分に。そうやって、少しずつ、でも着実に社会復帰を果たしました。
震災からの復興も似たところはあると思います。休むも仕事のうち。そう信じています。自営業者には辛い決断でもありますがね。
Posted by ヌマンタ at 2011年06月14日 12:39
ヌマンタさん、経験談をありがとうございます。
9年の療養からの社会復帰は想像を絶しますね。お会いしたヌマンタさんからはイメージできないです。
震災もおなじ、、、そうですね。経済的にも精神的にもガタガタですから、ヌマンタさんオススメペースですすみます。(なかなかできないんだ、これが…)
Posted by タク at 2011年06月14日 18:21
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