先週13日の(遅いよ!)河北新報夕刊に掲載された、正岡子規の宮城旅エッセイ、遅ればせながらアップします。
今回は子規仙台滞在です。
子規の風景 はて知らずの記をたどる
仙台大橋
「旧城址の麓より間道を過ぎ広瀬川を渡り槐園(かいえん)子を南山閣に訪ふ」
(はて知らずの記)
仙台大橋
「旧城址の麓より間道を過ぎ広瀬川を渡り槐園(かいえん)子を南山閣に訪ふ」
(はて知らずの記)
松島遊覧から戻った正岡子規は仙台市内に投宿。はて知らずの記の草稿には「針久に投ず」という一文がある。文献等に国分町付近と仙台駅周辺に同名の旅館を見つけたが、残念ながら両方とも今はない。子規がどちらの宿に泊まったのかは分からない。旅を通して二つの針久に投宿したとする説もある。
どちらにせよ日々強烈な刺激を受ける子規にとって、宿は一日で最も心安らぐホームだったに違いない。ホームはたどり着く地でもあり、出発の地でもある。
さて、松島の刺激を宿で鎮め、新しい一日に出発した子規は、仙台に何を見たのか。かかる抜粋を今にたどってみよう。
大橋を青葉山へ渡り右に折れる。直進すると澱橋が広瀬川をまたぐ。南山閣とは国見の高台にあった伊達家老石田家の別荘だ。察するに子規は大崎八幡を横目に唸坂を上り、南山閣へ。訪ねた槐園(かいえん)とは、鮎貝槐園。気仙沼出身の歌人落合直文の弟だ。
明治の時代、南山閣は文人歌人が集まるまさにホームだった。仙台での子規の数日がここに始まる。
絵と文/古山拓
picture & text by Taku FURUYAMA all rights reserved
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いつもブログを拝見させていただいております。
正岡子規の旅エッセイがあったとは知りませんでした。
子規は大橋のあたりから国見まで歩いたのでしょうか。
やはり昔の人は健脚だったのですね。
大橋の風景懐かしいです。
ほんのちょっと帰郷した気分になりました。
この原画も拝見したいのですが遠方に住んでいますので・・・残念です。
インドの旅も興味深く読ませて頂きました。
これからもブログ、楽しみにしていますね。
私も子規の健脚を思います。体調が悪かったとはいえ、それでもすごい。
近い将来、子規連載が終わったら原画展を開いてみたいです。
また遊びにいらしてください。
子規もそうだったかもしれませんが、ほんの3年、5年先の見通しも難しくなった現代、
ホームはあちこちに、たくさんあった方が楽しいですね。
我が国日本はそういう時代だと思います。
画題に溢れてます?(笑)
いくつかのホームをもつことで、うん、ひろがりそう♪