2016年05月12日

磁場を持つ水彩画

ときどき「この絵は生きているんではないだろうか?」と、思うときがある。

磁場を作る、とでもいうのかな、数日間という短い期間にその絵に関係するモノゴトや人を呼び寄せる。そんなかんじ。

一週間ほど前、東京からはじめてのお客さんが、ちいさなギャラリー、アルティオにいらっしゃった。その方が「ネットで見て気に入っている絵があった」と、スマホで一枚の絵を見せてくれた。アップしたのがいつだったかは思い出せなかったけど、岩手は金ヶ崎町の西に広がる酪農地帯の一本の道を描いた水彩画だった。遠くに点景で農作業姿の夫婦がたたずんでいる。
「この絵を見ると、主人の両親を思い出すんですよね」と奥様がうれしそうに言った。

すでに嫁いでしまっていた絵なので、残念ながら本画を見せることは叶わなかった。彼女はその作品のポストカードを求めてくれた。

その翌々日、ケータイにメールが着信した。見ると絵の持ち主の友だちだった。彼からメールが来ることはそうひんぱんにあることではない。
「家に立ち寄りたい」との文面に、なんだろうな?と思っていると、私が好きなウィスキーと、とんでもなく嬉しいサプライズをたずさえ,彼は私の家にやってきた。サプライズの内容は残念ながらここではあかせないけれど、年代物ウィスキーがふさわしいすてきなことだった。
もちろん話を聞いたあと、東京からいらしたご夫妻のことを思い出していた。

そして今日。東京のご夫妻からメールが着信。
「東京の自宅近所の知人に金ヶ崎の絵のポストカードを見せたら、なんと出身が金ヶ崎の方でした!この道、自転車で走っていた、ですって」

水彩画はペラペラの水彩紙に、水で溶いた透明水彩絵の具が定着してる平面体に過ぎない。
だけど絵は風景が自分の深いところと共振した結果だ。共振は波動だ。作品が音叉になって耳に聞こえない波動を発信しているとしてもなんの不思議は無い。
描いたときの気持ちはエネルギーとなって、絵に刷り込まれる。ゆえに電波を発信し続け、波長が共振した誰かを呼んでくれる。たぶんそうだ。そう思いたい。

私の風景水彩画のモチーフの根っこは旅風景だ。
一人で見ず知らずの風景を探しさまよう非効率な作業だ、といえばカッコつけ過ぎか。でもラクな取材では、発する共振は多分、弱いんだな。

文末にアップした絵のタイトルは「蝦夷(えみし)の地へ」。実は、岩手の英雄「阿弖流為」の駆けたであろう景色を探し求めた取材で見つけた景色だ。あらためて一連の出来事の末、ふと思ったのは「自分の足で迷うことの大切さ」だ。

この数日の出来事は、あらためて迷い歩くことを思い出せ、と、教えてくれたように思う。

20160511iwate_kanegasaki_watercolor.jpg


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アトリエ・アルティオのギャラリーショップサイトはこちらです。
posted by タク at 00:00| 宮城 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 水彩画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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