2017年03月13日

立ち位置

今日、久しぶりにタップダンスのレッスンでスタジオのドアをくぐった。
恥ずかしながら、40代の頃、5年ほど下手なステップを必死に覚えていた時期がある。身辺慌ただしくなってすっかり遠ざかっていた。この数年間、数回足を動かしに行った程度。8年か9年、実質ブランクはそれくらいはある。今日のレッスンは、曲に合わせてステップを渡された。といってもすぐさま踊れるはずもない。

当たり前のことだが、モノゴトはどういう立場にいるかで見え方がまったく変わってくる。
例えば「舞台」とは物理的には一つのハコでしかないのだけれど、楽しむ観客側と、演じ手側では一つのステージは異なったものとなる、学芸会だって同じだね。当たり前のことだけど。

昨日、話題の映画LA LA LANDを観た。自分はミュージカル映画が好きだ。華やかなミュージカルと思ってチケットを買ったのだか、予想はいい意味で裏切られた。劇中、まるでこちらの心を弄られるような感覚がずっとつきまとっていた。観ていてそれは辛いほどだ。自分の指折り好きな映画に、これまた最後まで観るのが辛い「プライベートライアン」があるが、その感覚に近いと言っていい。

好きな描くことを仕事にできていいね、と、よく言われる。
苦手なことを生活の糧にするわけではない点で、確かに幸せだと思う。「だけど…」と、言い返したくなることを言わずにいつも呑み込んでいるのだが、その「だけど」の先がこの映画には描かれる。まざまざと見せつけられる。ゆえに、辛い。

自分は絵描きという仕事は、ある意味罪の深い仕事だと思っている。描き出すのは「自分自身」。自己顕示欲のカタマリみたいな仕事だ。そんなやつ、近くにいたら普通は引いて行く。
真っ当な社会生活が送れないが、描くことでどこか社会の役に立つから生かされているようなものだ。先生なんて呼ばれるけれど、世の中、教師を除いて、先生という呼称ほどつかみどころのない肩書きはない。絵描きは多分にその最右翼の中の一つだ。(困ったことにそれをわかっていない絵描きも多いのだけれど。)常々そう思っていることへ、グサリとくるシーンがとどめだった。なんと素晴らしい脚本♩

こんなミュージカルは見たことがない。監督がセッションを撮った人だというから、型どおりのミュージカル映画にはならないんじゃないか、と思ってはいた。表現芸術と、それを生きる糧に選んでしまった、選ばざるをえなかった人間たちを、心の底から愛している。そのことが伝わってきました。
自分の社会の中での立ち位置によってあらゆる見方ができるという意味でも、観てよかった映画でした。

もちろん今日のレッスン、始まるまでは気分はそれこそLALALANDだったけど、スタジオの鏡に映る踊りはもちろん立ち位置さえおぼつかない。レッスンが終わるとしこたまヘコんでしまったのはいうまでもありません。




posted by タク at 00:04| 宮城 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | モノヅクリの裏庭 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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