2017年03月27日

悪夢

F1333AD6-3A97-48C3-BA3E-C2A63E3545D4.jpgひどい悪夢にうなされた。
多分、宇都宮での法廷画仕事で、判決の要旨が耳に入って来たからだと思う。
内容は文章にするにはばかるほどひどいものだった。ホラー作家なら表現力で読ませるところだろうが、あいにくそんな才はない。なので書くのはやめておく。
悪夢ゆえ目覚めも悪く、気がつくとどこかで尾を引いていた。まあ、そんな日もある。

同じ日、映画「サウルの息子」を観た。これがまたきつかった。第二次世界大戦でのユダヤ人のホロコーストの内側を描いた作品だ。今まで見たことがない演出、カメラ、そしてラスト…もちろん素晴らしい映画だった。しかし、同時に忘れかけていた悪夢を思い出してしまった。

かつて、ポーランドのクラクフ近郊のオシフェンチム収容所跡(ドイツ語ではアウシュビッツ)に旅したことがある。世界がまだ東西に分かれていた頃だ。
ウイーンからの列車を乗り継ぎ、起点となる古都クラクフへ。たどり着くまでが四苦八苦だったこともあって、実際に収容所を見たところまでの記憶は不思議にグレートーンだ。季節は木々が新緑を抱いていた時期だ。森の緑の美しさや、広がる空も心地よかったはずだ。
しかしその色合いがオシフェンチムまでの記憶には、ない。

心地よさや色合いは、それらが発しているものではないということだ。
立ち並ぶ木々や青い空間に浮かぶちぎれ雲だったり、それらはただそこに「在るだけ」だ。
美しさや心地よさは、人間が心で意味を付けることだ。心理状態によっては何物もただのグレーの存在でしかない。

表現の仕事は、人のこころに「色合い」を差し入れる仕事だ。しかし、どんな色合いも決して無からは生まれない。グレーな体験こそが色合いを生み出す元になったりもする。そういった意味では、悪夢も捨てたもんじゃない。
花屋の店先に並ぶたくさんの花よりも、ゴツゴツと荒れた岩場に咲く一輪の花の方が、数倍美しかったりするのだ。

そろそろ岩場に花を探しに行きなさい。そして、足元にその体験を繋げなさい。
薄れつつある悪夢が伝えたかったメッセージのような気がしている。

絵は、旅することの意味を込めた一枚。「現れた目的地」です。

















posted by タク at 00:46| 宮城 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | モノヅクリの裏庭 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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