2011年11月22日

「子規の風景」第11回 松島・2

河北新報夕刊掲載の「子規の風景」最新号をアップします。昨日21日付けで掲載されました。
どうか、ご笑覧下さい。

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子規の風景 はて知らずの記をたどる

「威厳あふれる瑞巌寺」

松島・2 


政宗の眼もあらん土用干  子規

siki_zuiganji72.jpg

 前回、絵筆の勢いで割愛してしまった瑞巌寺訪問のことを書こうと思う。松島で瑞巌寺を避けては通れない。
 先の津波被害を辛くも逃れた瑞巌寺は、伊達政宗の菩提(ぼだい)寺でもある。塩釜港岸壁に山積みされたがれきを横目に松島に渡ると、何か大きな力が松島を守ったのではないかとさえ思えてくる。
 「古雅幽静はなはだ愛すべきの招提(しょうだい=寺院)なり」とは子規の瑞巌寺へ向けた言葉だ。反面、俳句が彫られた石碑群には「殆(ほとん)ど見るべきなし」と手厳しい評を残している。彼が唯一認めているのが「春の夜の爪あがりなり瑞巌寺」なる句だ。
 私はこの句碑を探してさまよったが、ついぞみつけることができなかった。諦めて拝観券を買い、庫裏へ上がった。そこには伊達家の威光がさしていた。
 子規が政宗公の眼(まなこ)を言葉に選び「土用干し」と言い及んだ宝物群。しかし、今の瑞巌寺は大改修に入っており、全容を見ることがかなわなかった。
 私は改修後の「土用干し拝観」を自分に約束し、庫裏をあとにした。

絵と文/古山拓
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2011年11月21日

「子規の風景」第10回 松島・1

子規の風景 はて知らずの記をたどる

松島・1


すゞしさや島から島へ橋つたひ 子規

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 瑞巌寺山門前の宿に荷物をおろした子規が、最初に訪れた場所は観瀾亭だ。秀吉が政宗に与えた茶室が移築されたものだと「はて知らずの記」にガイドブックさながらに記されている。

 子規憧れの地だ。松島を歩き始めた彼の高揚感は紀行文にも現れている。観瀾亭に言及するボリュームからは、感激した様子が十二分にうかがえる。そこで島影を眺めたのち、彼は瑞巌寺、そして五大堂へと歩を進める。

 松島が日帰り圏の距離に住む私は、何度もこの名勝を訪れ、放つ魅力を楽しんできたつもりだ。けれど、今回の松島行は何かが違っていた。子規のつづった紀行文をたどりながら訪ねた松島は、まるで、彼の網膜に時を超えてアクセスしているような、そんな感覚だった。子規の目に入り込む感じと言えば分かりやすいだろうか。

 気が付くと五大堂を前に、かばんから鉛筆を取り出していた。
 「子規の目線を描く松島も面白いな」。彼が句に詠んだ欄干の赤い弧を捉えながら、そんなことを思っていた。

絵と文/古山拓
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「子規の風景」第9回 松島湾・2

子規の風景 はて知らずの記をたどる

松島湾・2


涼しさのここを扇のかなめかな 子規

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 子規は、櫂(かい)こぐ船頭の松島紹介口上を次のようにつづった。「…舳(へさき)に当たりたるは観月楼、楼の右にあるは五大堂、楼の後ろに見ゆる杉の林は瑞巌寺なり。瑞巌寺の左に高き建築は観瀾亭、悄々観瀾亭に続きたるが如きは雄島なり。」
 そして船着き場へ接岸。子規は松島上陸の感激を「恍惚(こうこつ)として観月楼に上る。」と「はて知らずの記」に記した。

 今回の句は、私が五大堂を船上から見つけた時に思い出した句だ。船で松島に入ると、五大堂や観蘭亭が海原に向かって「正座」していることに気づく。海原が扇なら、門前町松島が要か。海上交通が大動脈だった昔、ランドマークが海へ向かって座しているのは、至極当然だ。陸から見ていたのでは分からない。

 船着き場前の宿に投宿した子規は、通された部屋の障子を開く。と、そこには焦がれていた島々が広がっていた。
 仙台を出て榴岡、塩釜、そして松島へ。子規の長い一日は、さらに門前町散策へと続いていく。

絵と文/古山拓
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「子規の風景」第八回 松島湾・1

雑務に追われ、河北新報連載をアップしそびれていました。まとめて今までの分を掲載します。

子規の風景 はて知らずの記をたどる

松島湾・1


涼しさやかもめはなれぬ杭の先  子規

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 「山やうやうに開きて海遠く広がる。船より見る島々縦に重なり横に続き遠近弁へ難く其数も亦知り難し。一つと見し島の二つになり三つに分かれ…(中略)…我位置の移るを覚えず海の景色の活きて動くやうにぞ見ゆるなる。」(はて知らずの記より)

 塩釜から船上の人となった子規の松島湾描写だ。私も塩釜汽船発着所から乗船し、湾内クルーズとしゃれ込んだ。目指すは子規と同じく松島の船着き場だ。

 太いエンジン音が高まると、汽船は岸壁を離れ湾内に滑り出した。遠くに一つに見えていた島が、進むにつれ二つ三つと分離していく。子規の描写と同じだ。写真では味わえない動的な面白さ。

 私の心をさざめかせたのは、養殖いかだや、湾内に突き立てられた竹の杭(くい)だ。海原と島々が主旋律なら、カモメたちが羽を休めるそれらは対旋律か。

 風光明媚(めいび)なだけではない、波間にのぞく漁民の暮らし。松島湾の魅力は、海に生きる人の力強さと島々のハーモニーだ。子規もまた、それらが奏でる極上の音楽を「見た」に違いない。

絵と文/古山拓
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2011年09月13日

「子規の風景」第七回 塩釜・2

「子規の風景」連載アップです。(2011年9月12日付河北新報夕刊より)

子規の風景はて知らずの記をたどる

平安の山水 頭に描く

塩釜神社・2


涼しさの猶有り難き昔かな  子規

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 話は前回の塩釜神社から続く。
 かつて歌人にとって、塩釜は憧れの地の一つだった。藻塩焼きの神事が歌枕となり、紫式部も塩釜を歌に詠んでいる。子規もまた、神社の眼下にたなびく煙を「鹽焼く煙かと見るは滊車滊船の出入りするなり」と記している。

 この描写は、旅人歌人ならではの表現だと思う。鹽焼く煙という歌枕と、時代の先端技術が吐き出す黒煙。彼は時代の移り変わりを「はてし知らずの記」にさりげなく描写した。

 旅人が前に進むための原動力の一つは、「想像力」だ。今の風景を見つめ、色あせた歳月に想いを馳せ、脳内で再生させる。そんなふうに今に繋がる歴史に血肉を通わせることも、旅のかなめの一つだと、私は思う。

 「山水は依然たれども見る人は同じからず」(はて知らずの記より)
 子規塩釜訪問から百余年。塩釜神社の眼下、名をなした歌人達の焦がれし「山水」が変わらずにあった。

 旅人の想像力はたくましい。子規は明治の塩釜に、はるか平安の時を見た。


絵と文/古山拓
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2011年08月31日

「子規の風景」第六回 塩釜・1

「子規の風景」連載アップです。(2011年8月29日付河北新報夕刊より)

子規の風景はて知らずの記をたどる

「平泉」の残照に感慨

塩釜神社・1 

炎天や木の影ひえる石だゝみ  子規

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 仙台を後にした子規は、汽車で松島に向かうが塩釜で下車している。子規の旅は奥の細道をたどる旅だ。芭蕉と同じく塩釜から船で松島へ渡っている。今回の歌枕となった塩釜を私が訪ねた日は、7月29日。子規が明治26年に塩釜を訪れた日と同日だった。

 本塩釜駅で降りる。東日本大震災の後、子規がたどったルートはどれだけの被害に遭ったのか? 恐る恐る駅舎を出た。重機の音が響き、作業員が立ち働いている。商店街のあちこちで1階部分がひしゃげていた。1000年に1度と言われる津波の爪痕だ。沈む気持ちをねじふせ、子規が訪れた塩釜神社へ向かった。

 境内には和泉三郎忠衡(藤原秀衡の三男、源義経を守った武将)寄進の灯籠が立つ。いわば平泉黄金文化の名残だ。芭蕉が言葉を残し、子規もまた「はて知らずの記」に思いをつづっている。
 思いがけず出会った平泉のはるかな残照に、1000年を経て試練に立ち向かう東北人の意気が重なった。灯籠越しに奥を見ると、社殿が静かにたたずんでいた。


絵と文/古山拓
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2011年08月17日

「子規の風景」第五回 仙台・榴岡

「子規の風景」連載アップです。(2011年8月15日付河北新報夕刊より)


子規の風景はて知らずの記をたどる


仙台・榴岡 


兵隊の行列白し木下やみ  子規


shiki_5_nijyuninmachi_web.jpg


榴岡公園(宮城野区)。仙台に暮らす人なら一度は訪れたことがあるに違いない。子規も7月28日に立ち寄っている。「明日は必ず扶桑第一の山水に對せん」と記した翌日のことだ。松島を「扶桑第一」(扶桑は日本の古称)と言い切るあたりに、子規の松島への思いがにじむ。彼は松島へ向かう途中、榴岡を古歌の名所と言いおよび、今の公園付近に遊んでいる。

表題の句から察するに、立ち寄った所は旧陸軍の兵舎だった歴史民俗資料館付近ではないかと思う。夏の強い日差しの下、隊列を組む兵の姿が脳裏に浮かぶ。

今回、私も榴岡では、旧兵舎と桜並木を描くつもりでいた。しかし現地で足が止まった場所は違っていた。公園の外縁だ。再開発で開けた二十人町のさら地越し、一軒の商店が消えゆく町の証人のように建つ。奥に広がる宮城野の丘。その曲線に子規の残像が重なった。

そうか、榴岡は「丘」だったんだ。今まで地名の意味を考えずに口にしていた自分を恥じた。と同時に、その丘陵地は、榴岡に遊ぶ子規の姿を記憶しているのではないか。そう思った。


絵と文/古山拓
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2011年08月08日

「子規の風景」第四回 仙台・X橋

「子規の風景」連載アップです。(2011年8月1日付河北新報夕刊より...遅くなりました!)

子規の風景はて知らずの記をたどる


仙台・X橋 「時間と想い 積み重ね」

「増田迄一里の道を覚束なくも辿りつきて汽車仙台に入る。」
(はて知らずの記より抜粋)

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 月に寝ば魂松島に涼みせん。 子規
 明治26年7月27日、子規仙台到着。上野をたち8日目のことだ。仙台にたどり着いた子規は、体力回復のため数日間滞在する。冒頭の句は、憧れの松島を眼前に仙台の宿で詠んだ句だ。
 病身を押しての旅だ。岩沼から愛島を徒歩で訪ね仙台へ。この強行軍は彼の体力をごっそり奪い取った。しかしそれでも心はすでに月下の松島に遊んでいた。切ないまでの憧憬(しょうけい)。そんな子規は仙台に何を見たのだろう。
 仙台駅の北に、一本の高架橋がある。宮城野橋=通称X橋だ。たもとには古びたれんが造りの隧(ずい)道が残っている。明治のころ高架は無く、必ずしも子規が見た風景とは一致しない。けれど「仙台と子規」という歌枕で私の脳裏に浮かんだのはその隧道だった。
 時の積み重ねは美しい。その美しさは暮らす人々の思いの地層だ。X橋の隧道を見ると、そんな思いが胸に迫る。子規の仙台滞在は、きっと名もない誰かの心に刻まれた。そして仙台を形づくる「地層」の一部になっているに違いない。



絵と文/古山拓
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2011年07月13日

子規の風景第三回 岩沼、愛島2

一昨日、河北新報に正岡子規連載の日でした。
7/11付けの夕刊からです。
どうかご笑覧ください。

子規の風景 はて知らずの記をたどる


第3回 「西行の石碑に縁重ね」-岩沼、愛島2


vol3_medesimasanekatanohaka.jpg

愛島(名取市)の道祖神社を詣でた子規は、実方中将の墓所へと歩を進めた。距離は神社からさほど遠くない。街道筋から脇道にそれ、ほどなく墓は見つかった。標柱脇の一房のススキが目に涼しい。
子規の岩沼途中下車は、実方中将ゆかりの地を訪ねることにあったわけだが、墓所で西行の足跡と出会っている。今も柵で囲われたその傍らには、西行の句が彫られた石碑が立つ。
こけむした表面を思わず指でなぞる。子規から見つめられているような、くすぐったい感覚。彼も、間違いなくここに立っていた。そう考えただけで、吹き抜ける風が百余年の歳月を払い去った。
実方中将が葬られた名取を西行、芭蕉が、子規が訪れた。そして今、何の縁(えにし)かそこに立つ自分がいる。
子規は西行との邂逅(かいこう)で、切ないまでの旅人の心境をこの地に詠み上げた。
古今東西、人は不安を抱えながらそれでも旅を進めた。それは何かに繋がり、どこかへ還るためだったのではないか。愛島風景を眺めながら、そう思った。

−旅衣ひとへに我を護りたまへ− 子規




絵と文/古山拓
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2011年06月28日

子規の風景第2回-岩沼,愛島

今日は正岡子規連載の日。
河北新報6/27付けの夕刊からです。
どうかご笑覧ください。


子規の風景 はて知らずの記をたどる

第2回 「古い参道 浮かぶ面影」-岩沼、愛島


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子規の旅の目的は、奥の細道へ歌枕の地を訪ねることだった。時は明治、芭蕉のころから時代は変わり、みちのく路へは文明の最先端技術=鉄路が延びていた。明治26年7月19日、彼は上野から汽車で一路東北をめざす。栃木、福島沿線上で歌詠みしつつ6泊。27日、桑折から宮城へと入る。

彼が宮城で最初に踏みしめた地は岩沼だ。歌人実方中将の墓を詣でたいがための下車だった。駅に降り立った子規は徒歩で中将の墓へと向かう。そして途中、中将が落命した場所に立ち寄っている。愛島(名取市)の道祖神社だ。

地図を見ながら神社を探した。それは杉木立の中に静かに建っていた。子規の句を呟きながら境内を歩く。けれど描く気持ちと目の前の風景が一致しない。仕方なく引き返すと隠れるような参道に気がついた。先には、木立に囲まれた古道然とした道が続いている。

辺りには子規の面影が浮かび上がるような雰囲気が漂っていた。気持ちがさざめき、道を踏みしめ振り返った。目線上に建つ道祖神社に鉛筆が走った。



-われは唯旅すゞしかれと祈るなり- 子規




絵と文/古山拓
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愛島(名取市)道祖神社マップ


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2011年06月13日

子規の風景-第一回

河北新報夕刊連載を、サイトでも随時アップして行きます。
今日は第一回目。

子規の風景 はて知らずの記をたどる

第一回 「歌枕携え旅が始まる」-東京・根岸

shiki_tokyonegishi001.jpg


 「旅に出よう。」
 その感覚は人の心の根っこにひそむ独特の感情の一つだと思う。きっかけの大方は、何かの節目だ。
 心をチェンジする時や、学びを得ようとする時、はては大きく前に進む決意を持った時など、言い換えれば強い意志で未来を変えようという意思が、人を旅に誘うのだろう。私自身絵を描く拠り処の一つに旅がある。もちろん新しいインプットを求めてだ。
 俳人正岡子規が、明治二六年、病を押して東北を旅した事実を知ったのは、二年前のことだ。彼の歌詠み旅日記は「はて知らずの記」として新聞日本に連載された。
 彼は何を東北に見たのだろう?「はて知らずの記」を歌枕に、子規の影を宮城に追ってみよう。そう思った時、私の新しい旅が始まった。
 子規が東北に出発した場所は東京根岸。鴬谷駅に降り立ち、旅立ちの場所をようやく探し当て振り返った。と、数軒先に、子規の句を辿る旅人と「子規庵」が見えた。



−みちのくへ涼みに行くや下駄はいて− 子規 





絵と文/古山拓
picture & text by Taku FURUYAMA all rights reserved


※子規庵のサイトはこちらでご覧になれます


posted by タク at 23:40| 宮城 ☁| Comment(8) | TrackBack(0) | 子規の風景-はて知らずの記をたどる | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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