ある日、北海道の小学生から仙台のわたしに手紙が届いた。
学校の社会学習の一環とのことだった。
「将来なりたい職業に就いている人に手紙をかいて、どうすればいいか尋ねよ」との授業内容だったらしく、拙いけれど一生懸命な文章が綴られていた。
そのころ初めての会場での個展があり、なかなか返事が書けずにいた。
ようやく出した返事に、さらに丁寧な文字の返信が届いた。
その子の母親からの手紙だった。
「卒業式の日に返事が届き、娘はとても喜んでいました」
封筒には六花亭のホワイトチョコがそえられていた。
そうか、卒業だったんだ、、、。
一日遅れていたら、その子は手紙を受け取ることができなかったんだ。
自分のことに振り回され、その子のことを二の次三の次に考えていた自分が恥ずかしく、寂しくなった。
その子のお母さんから封筒が届いた日は、2011年3月10日。
震災の前日だった。
11日、巨人に引っ掻き回されたような机の上にあったチョコが不思議な感じだった。
四年前と同じ雪の日になった今朝の仙台ですが、雪が北海道を連想させたのか、そんなことを思い出しました。
今、あの子は高校一年なはず。
震災の日が来るといろんなことが去来するけれど、北海道のその女の子のことを思い返すと、暖かくも切なくなる。
人との出会いは、時間をまたいで神様が仕組んだ粋なはからいでもある。
いつかどこかで、その子と会える日がくるような気がしてならないのです。
311直前に届いた北海道からの手紙。
あの手紙は、まちがいなく折れそうになる気持ちを支えるひとつでした。
今日はあの日から4年目です。皆さんのおかげでなんとか生きてこられました。
へんな言い方ですが、すべての出会いとすれ違い、そして別れに、「合掌」
追記
アップした絵は、2011年3月15日から予定されていた晩翠画廊での個展のために、震災前、最後に描き下ろした三陸を描いた20号作品。
奇しくも絵の題は「明日へ」でした。
震災直後の個展でこの絵は老婦人のもとへ嫁ぎました。「こんな時だがら、この絵、もらわずに帰れね」との言葉が忘れられない。